「目線の低さ」と「志の高さ」と

小林 ちょっとリラックスしてやりましょうよ。お酒でもたのんでください。

津田 そうですね、じゃあ僕もビールを。では、続いて第2部ということなんですが、ここからは新たなゲストをお呼びしましょうか。僕も昔から知っているこの方です。ワタリウム美術館、和多利浩一さん。

和多利 どうも。津田さんとはもうね、何度もごいっしょしていて。

津田 僕がワタリウムでのトークショーみたいなのに誘っていただいたり、あとは震災の翌年に、フランスのアーティストJR(ジェイ・アール)をワタリウムでやるというときに、彼らを東北に連れて行きたいけど和多利さんが東北に行ったことがないということで、その案内を頼まれてたんです。じゃあいっしょにいきませんかということになって2泊3日のかなりの強行軍で行ったんですよね。

和多利 地元の漁師さんとかいろんな人たちを紹介してもらいました。ぜんぶ津田さんの運転でね。

津田 僕は運転するのが好きなんですよ、趣味なので(笑)。でもあれが巡り巡ってこういう形で花開いたとすると僕も感慨深いです。とはいえ和多利さん的には最初はどうだったんですか。いろいろワタリウムでの企画展はやってきていたにせよ「あのワタリウムがついに地方開催の芸術祭をやる」っていうのは。

和多利 小林さんからお話をいただいてね、芸術祭やりたいと。最初はもちろん「えっ!?」てかんじでした。だってね、芸術祭ってそもそもどこかから「お願いですからやってください」って言われてやるのが普通なんですよ。自治体とかから「お金を用意しましたから、この予算で地域を活性化させてください」っていうオーダーをもらってやる、というのがいわゆるそういう地方開催の芸術祭の常ですから。

小林 いや、それをもっと早く聞いてたらなと思いますよ。知らずに自分で出してますから(笑)。

津田 だから僕なんかもこの話最初に聞いてたとき思いましたもん、「なんて素敵なんだ」というのと同時に「なんて無謀なんだ」って(笑)。

和多利 もちろん個人的にはわりとすぐにやりたいとは思ったんです。ただ「やりましょう」とは言いながらも頭の中では逡巡していたのも事実で。要するに、自分にとっての震災に対する落とし前の付け方だったり、さっきフラムさんも仰っていたけど「これでもしアートが機能しなかったら」という思いもあった。あとは、他の芸術祭とどう違いをつけられるかの確信ですかね。そういうことが頭のなかでぐるぐる回ってました。最初はビジュアル・アート(※編註 音楽などの聴覚表現に対して視覚に寄った芸術を指す)だけでやってくれというような話もあって。それはさすがに無理だとは思ったな。僕らがやるんじゃトンガリすぎて和むところがないでしょ。もし「食」と「音楽」で和んでいただきつつ「アート」では刺激を得るというようなものだったらできるかもしれないけど、と。

小林 アートだけでと言ったつもりはなかったんだけど、音楽というのもまた逆の側面というか、一気に盛り上がってすっと終わるものになることが多いから、長期間にわたって表現するというのはヴィジュアル・アートの得意とするところでしょう、とは思ってました。

津田 音楽フェスを中心に据えて、少しアートを足すっていうような考え方はなかったんですか?

小林 僕が2012年のヴェネチアのビエンナーレを観に行ったんですが、その影響が形を変えていまの僕らのいろんなところに通じているかもしれないですね。ヨーロッパなどは特にそうですけど、僕らは大航海時代からグローバリズムまで続く連綿とした流れのなかで生きていて、経済だけを盲信せず目線を低く正直に生きようとするのはひとつの共通した潮流でもあって。僕らのほうでも、福島のことがあったあとに、また大きなものに依存して元の木阿弥というようなことはどうしても信用できないなと思いますよね。そういうところをすでに大先輩のフラムさんがこれまで日本でやってきてくださっていたわけだけど、僕らがそれをそのまま真似てもぜったいにかなわないからね。僕と和多利さんは同世代で、60年代以降のロックを経てきた世代として、僕らは僕らの引き出しからフラムさんとはまた違ったアプローチをしたいと思ってます。

和多利 僕は「目線の低さ」とはまた別のところに「志の高さ」が必要だと思ってます。この国では、1980年代のうちには47都道府県すべてに公立の美術館ができました。でも、できはしたけどその「志」を問わなかったせいで世界に誇れるものなんてなにひとつないわけですよ。いまや乱発されつつある「芸術祭」というものも下手をするとそうなってしまいそうな気配があって。

 

牡鹿半島の風景へのオマージュ

津田 さっきの小林さんの話で、「目線の高さを変える」という話はアクチュアルな問題意識に基づいているように思えます。それは世界でも日本でも求められているというところがたしかにあるんだろうなと。そういう意味で、『Reborn-Art Festival』がやろうとしていることって、社会のカウンターのカウンターのカウンターというか。現代美術界のなかでもカウンターのカウンターみたいなことになってますよね。

小林 そうかも。ぐるっと回って正攻法ってこともあるかもしれないけど(笑)。

和多利 今回のひとつのカウンターとしては、最初の名付けの段階で「◯◯◯芸術祭」といいうのはやめよう、というのは共通認識としてありましたね。さっきの自治体からのオファーという意味では、言ってみれば僕ら余計な御世話で地域起こしをやってるとも言えるわけだし。あと、カウンターというか、これは僕と中沢さんの「いい加減さ」なんだけど、普通はビエンナーレとかトリエンナーレって開催間隔を決めてるもんなんだけど、それもない(笑)。

小林 いちおうオリンピックとの関係もあって次回だけ2019年にやるっていうのと、そのあと10年間は続けるっていうのは公言してるけどね。

津田 あと、石巻というところは芸術祭を開催する「地域」というだけではなく「被災地」という側面がありますよね。

和多利 被災地というところでのセンシティブなことは本当に多々有ります。でも僕は人間的に信用できるやつらしか呼んでないから大丈夫じゃないかな。彼ら(美術家)にいつも言っているのは、「テキトーにやるのはやめてくれ」ということと「鎮魂みたいなこともやめてくれ」。もう悲しみはいいから、新しく次のものを作るんだっていうことが依頼の内容としては大きかった。

津田 作品設置にもかなりの苦労があるようですね。

和多利 これほどホワイトキューブ(いわゆる美術館的な白壁の展示スペース)のない芸術祭もないよね(笑)。しかも牡鹿半島なんて国立公園だからすっごく法律が厳しくて。ほとんど作るなと言われているような環境もあるくらい(笑)。

津田 そういう場合はどうするんですか?

和多利 牡鹿半島の浜で「外から一切なにも持ち込んではいけない」というところがあって。そういう場合は、そこにあるものだけで作品にするんですよ。

津田 でもそんなところでもやるというからには、なにかインスパイアされる環境があったということですよね。

和多利 もちろん。そこは牡鹿半島でいちばんきれいな浜なんです。まあ一方でそういうものもありつつ、名和晃平作品のように物質感がどーんとある巨大なものもあります。どちらにせよ、特に牡鹿半島の作品は風景に対してのオマージュですね。元々の風景に作品がプラスされて、いままでにみたことのない風景ができてるなと思います。あと、インスパイアでいえば土地もそうだけど僕個人でいえば「人たち」ですね。石巻で出会った若者の存在が大きくて。すてきなカフェをやってるやつらとか、廃屋でスケートボード場をやってるやつらとか。そういうやつらのためだったら例え苦労があってもここで芸術祭やってもいいのかなあと思ったというのもあるね。年配が中心だった漁師町がさ、若い世代に変わっていくべきときに僕らがいて、芸術祭が来たから諦めかけてたけどやれた、なんてことになるといいなと。

小林 中沢さんが提唱する「生きる術(すべ)」としてのアートが必要なんですよね。石巻も、新しいものは新しくなって、一見立派な建物も増えているかもしれないけど、それで人口が増えるわけじゃない。そんなところにいま作品ができはじめているけど、なんだかおもしろい様相が起きていて。半端なスペースのなかに異質なものが出会う余地が生まれているというか。2、3日前に行ったときも、さっきの村上春樹の地下2階じゃないけれど、意識の迷宮をたどっていくような作品ができていましたよ。これを映画かなにかのセットで作ろうと思ったら大変だろうなというようなものが石巻にはぼこぼこあるんですよ。

和多利 市内のディープなパーマ屋とか、ディープな映画館とかで作家が作品を作っていたりね。あと、自分のことだから小林さんあんまり言わないけど、ものすごい施設も作ってるんですよ。誰も知らないような奥まった牡鹿の浜にレストランを作って最高レベルの料理をふるまうとか。浜の漁師のおかみさんたちが調理して料理をサーヴできる場所とか。あるいはキャンプ場とか鹿の解体施設まであるんだから。

小林 鹿の施設はどうぞご覧くださいってところまではこの会期中は間に合わないかもしれないけど。

津田 でも「牡鹿半島」というくらいですから究極のジビエが堪能できそうですね。

和多利 あと荷台がライヴステージになる大型車両とかね。走っていった先がどこでも500人規模のライヴ会場になるっていう。会期中はそこかしこでアートと音楽と食がかなり複合されたハプニングがいっぱいあると思います。

津田 異質な人たちが集った甲斐がありますよね。

和多利 でもね、考えてみてくださいよ。「小林武史」と「中沢新一」と「ワタリウム」ですよ!? 最初は3ヶ月で喧嘩して終わると思ってましたから(笑)。それがどうして、弦楽ナン重奏だかわからないけどね。

小林 なぜかここまでいいかんじのハーモニーで(笑)。

津田 こんなに気難しい人ばっかりなのに(笑)。では、続いてこのへんでもうお二方のキーマンにご登場願いましょうか。さきほど第1部でも出ていただいていた北川フラムさんと、『Reborn-Art Festival』ではアンバサダーを務められているオイシックスドット大地株式会社の高島宏平さんです。

 

「こなしてるだけなんて冗談じゃないよ」(北川)

高島 どうも。僕が小林さんと初めてご一緒したのは震災後に女川に行ったときでしたよね。

小林 「東の食の会」というのがあってね。そこを通じて知り合って。

高島 そのときにはもう朧げながら今の『Reborn-Art Festival』につながる構想があるというのをお聞きしていて、それなら越後妻有に一度は行かれるといいですよと僕がお勧めしたんです。

津田 高島さんはもともと『大地の芸術祭』でもオフィシャル・サポーターを務められていたんですよね。僕も高島さんから誘っていただいたんです。

高島 ええ。で、今日これだけの人が集まっているんでせっかくだからいろいろ聞いてみたいんですけど、芸術祭にせよフェスにせよ、「良い初回」と「悪い初回」というのがあるかと思うんですね。その先もずっと続くイベントになる条件としての「良い初回」とはどんなものだと思いますか?

北川 「初回がどうのとか考えないのが良い初回」じゃないですかね(笑)。

津田 (笑)『大地の芸術祭』のときなんかもそんなかんじでしたか?

北川 もうやれるのかどうかってこと、それだけでしたよ。

高島 「最初は地元の反発が強い方がむしろ根付くんだ」というようなことをどこかで言ってませんでしたっけ?

北川 うん、それはまったくそうでね。そもそも地元の人からすると(芸術祭の)スタート時点では僕らは決して「必要なもの」ではないですからね。わかりやすいものでもない。だから、地元のひとりひとりの生活や思いとか、その土地に合った構造とか歴史とか、全部ひとつひとつぶつかっていかなければならない。それでもしようやくなにかを実現できたということになったとすれば、相当なことを超えて共有していけたということです。それは大変だけど面白いです。だから反対が多いほど意味がある。いいものができる。そう思ってますね。

津田 越後妻有でも空気が変わってきたな思った瞬間というのはあったんですか?

北川 さっき(第1部)の中越沖地震の話のちょっと前、3回目の2006年ですかね。夕暮れどきに野外でイベントがあって、終わったあとですれ違うときに地元の方々から自然と「ご苦労さん」とか「よかったね」とか言ってもらえてね。それはすごく覚えてます。

高島 なるほど。今の小林さんはそういうところでいうとどんなかんじなんですか?

小林 去年まずプレイベントを石巻でやったんです。でも、もちろんそれだけですべてがいい方向に推移するわけではなかったですね。僕らはある意味では大掛かりな動きを作ることができるかもしれないけど、大きく振れたぶん足元をしっかりみてやらないと逆に信頼を失うことにもなる。今はそういう気持ちが強いです。まだまだ(地元の人たちにとっての)異物感の方が大きいですね。

和多利 牡鹿半島には22もの浜があるんですけど、そのすべてにアート作品を置くわけにもいかない。どうしても濃淡は出るでしょう? そうなると、作品を置かれなかった浜にしてみればどうしても疎外感みたいなものがあるんですよ。

津田 初めてだから双方がなんにしても気負ってしまう部分というのもあるでしょうね。フラムさんは逆に、続けていくうえでマンネリになるというようなことはなかったんですか?

北川 2009年に越後妻有があったあと、2010年が瀬戸内(国際芸術祭)の第1回で。そのあと僕は体を壊すんですよ。食事もとれないくらいふらふらで動けなくなった。そのときに、反省しましたよね。こちらが動けずに伏して見ていると、みんなやっぱりね、なんていうのかな、「マンネリ」というか「仕事をしている」んですよ。冗談じゃないよと思うね。こなしてるだけ。アートなり何なりに対して、恨みつらみを含めて対応できてないんだ。冗談じゃないっていまも思ってる。だから僕は人に任せるということができないんだ。

高島 あれ? これはフラムさん、エキサイトするパターンですね……。

津田 高島さん、お願いしますよ、ね。今日の高島さんの最大の役割は「唯一フラムさんにストップをかけられる人」という部分にあるんですから(笑)。

北川 ええ、いつも僕は周りにたしなめられて学んでますよ(笑)。

 

「芸術祭は仲良くなりたい人と行くといい」(高島)

高島 じゃあ話題を変えましょう(笑)。(客席に向かって)みなさんのなかで芸術祭に一度でも行ったことあるひとってどのくらいいますか?(半分くらいが挙手)。では、半分くらいは未経験ということですが、そんな人でも芸術祭にハマっていまうような楽しむコツを教えてもらえますか?

北川 (あっさりと)行ってみればおもしろいよ。

高島 (笑)。とはいえ、どの作品からみるかにもよるとかあるんじゃないんですか?

北川 そんなのは3つ4つみればいいんだ。ピクニック、ハイキングするつもりでみていけば。歩くのも、車の道中も、そもそも道のりが楽しいんだよ。もちろん作品も楽しいんだけど。世の中にはね、本読むとかいろんな楽しいことあるだろうけど、これはだいたいのことよりはたいてい楽しいよ(笑)。

津田 かなり大きな話ではありますが(笑)。

小林 いやでもね、それはまったく本当のことですよ。都市の生活っていうのはどうしても時間の圧縮みたいなことがすごく起きてしまっているわけで。スイッチを押せば食事が出てくるようなね。それを、旅をしながら、野山を巡りながら、ちょっとしたトラブルも含めていろいろなことが起きてはそれに反応して考えることで、圧縮されていた時間が元あったところに引き延ばされていくようなかんじというのかな。それは行動する道のりでしか得られないものですね。東京にいては絶対にムリ。ハイヒールを履いたままでもムリ。スニーカーでないと得られない身体性というか、それ自体もアートなんだろうと思ってます。

津田 僕も、高島さんに誘ってもらって『大地の芸術祭』のオフィシャル・サポーターをやらせていただいてるんですけど、アートからずっと遠いところにいたはずの高島さんがいまやこんなに至近距離にいるというのにも、そういう魅力を感じてのことなんですよね。

高島 そうですね。ただ、芸術祭というのはみなさん仰るように確かに「行けばわかる」だし、行ってない人にそのよさを伝えるがかなり難しいものではあるんですね。そこで、僕がよく言うのは「仲良くなりたい人といっしょに行くと仲良くなれるよ」というのはありますね。

津田 同性はもちろん、異性ならなおさらですよね?

高島 それでダメなら諦めたほうがいいってくらいですよ。あそこは心が裸になるから。

津田 フラムさん、いいんですかそんな邪(よこしま)な。

北川 (悠然と)ぜんぜん邪がいいですね(笑)。

津田 ちなみにフラムさんって、ライバルだとか他のアート・プロデューサーのことを意識したりすることあるんですか?

北川 よそのことはあまり考えないよ。そもそも相対的にものを考えない。自分の好きなことをこういうふうに実現できる、ということだけが大事で。そうすると不可能なことも化学変化として起きてくるんだ。

津田 その一方で、和多利さんとしてはフラムさんのことを同業者としてどう感じてられていたんですか? FUJI ROCK FESの日高さん(SMASH代表)に対するROCK IN JAPANの渋谷さん(ロッキングオン代表)みたいな?

和多利 いやいやいや、僕にとってはもう大先生ですし、ジェネレーションも1つ2つ離れてますから、もうこちらは勉強させてもらう立場でしかないですよ。いまの美術業界は「南北朝」時代と言われてまして、一方の雄が森美術館の「南」條(史生)さんで、もう一方の雄が「北」川フラムさん(笑)。

津田 なるほど、そういう勢力図なんだ。

和多利 それからいえばワタリウムはアウトローですから。だから、そういう中央のことはあまり意識せず遠くから眺めてやってきているってかんじですね。でも、フラムさんがやってきた芸術祭には名作がいくつもあって。誰かの人生を変えるものもいっぱいある。僕らも少しでもそういうものに近づけたらと思ってやってます。

津田 さっきフラムさんはスタッフ等に対しての半ば正直な気持ちを吐露されてもいましたが、どうしたって客観、相対的データでしかものごとを考えられない人というのもいると思うんですね。例えば行政に関わる人なんてのはその最たるものだと思うんです。そういうときにフラムさんはどう対処されていたんですか?

北川 相手が思ってることを含み込んだ、それでいてもっと広く深いところで話せる力を持つことだね。僕は、人類が20万年前にアフリカ大陸で生まれたときからすべてを含めて美術のことを話してる。そうじゃなければつまんない話になっちゃうんだ。人はそれぞれ生まれや育ちや生理でいろいろ出てくるんだけど、それで喧嘩したところで意味がないからね。(病床に伏した)2010年に大反省してから、いろいろ真面目に勉強しようと思ってね。

高島 フラムさんのそういうところって小林さんも似てるなと思います。絶対的なクリエイティビティだけじゃなくて、相対的な相手の立場なんかも感じられるって。

小林 ありがとうございます。精進します(笑)。

津田 目の前で失礼な言い方になっちゃうかとも思うんですが、小林さんてね、確実に気難しい人じゃないですか。でも気難しいのにチャーミングなんです。

高島 (フラムさんを指差しながら)こっちもそう(笑)。

小林 僕がフラムさんに似ているかどうかはさておき、僕がフラムさんから今につながる種をいただいたのは本当で。初めてお会いしたときはたしか訝しい顔もされてたと思うんですが(笑)、でもその出会いのおかげでいま気持ちのいい日々をすごさせてもらってます。目に見えることにしかベット(投資)しない現代の社会で、でもそれが実のところ僕らが求めている出会いにつながるのかなという思いはあったりする。だから僕らは、そこから一歩踏み出すことを勧誘している怪しいオヤジたちということですね(笑)。来年の越後妻有もそうですが、まず今年『Reborn-Art Festival』をひとりでも多くの方に足を運んでいただいて、そういうことをぜひ共感していただけたらと思っています。

高島 芸術祭というのはそこで暮らす人たちと触れ合うと味わいが増しますよね。そんな人間との接点を楽しんでもらえるといいですね。食事もすごくおいしいところなので。

北川 あとね、最後にものすごい初歩的なことをいいますがね、僕らいま牡鹿半島(宮城県)の話をしてますが、まちがって男鹿半島(秋田県)いく人いますから、気をつけてください(笑)。

津田 えぇぇ、そんな人います!?

北川 『大地の芸術祭』の1回目にね、松代(まつだい)というところで作品を展示してたんだけど。そこへ電話があって「どこにも作品がないじゃないか」と言うんでよく聞くと、長野県の松代(まつしろ)というところからその人は電話してたんだね。そういうことって、ありますから(笑)。

津田 なるほど。北川フラムさんにしかできない貴重なアドバイスをいただいたところで、本日はこのへんで。登場していただいた皆さん、最後まで聞いてくださった観客の皆さん、ありがとうございました。

(了)