小林武史とワタリウム美術館。この二者は、一見して、相当に遠い。一方は、サザンオールスターズやMr.Childrenなど、数え切れないほどのヒットソングを世に送り出してきた日本屈指の音楽プロデューサー。もう一方は、ナムジュン・パイクやJRなど、国内外問わず、尖ったアートを発信する現代アート美術館。正直、「どっちも大好き!」という人はそんなに多くないはずだ。

そんな二者が手を組んで、今年7月より、アートと音楽と食の総合芸術祭『Reborn-Art Festival』を51日間開催する。しかも、場所は被災地である東北・石巻。いろんな意味で、突っ込みどころ満載。言ってしまえば、ごちゃごちゃである。

CINRA.NET編集部は、昨年石巻にて行われた3日間のプレイベントに訪れた際、このごちゃごちゃの片鱗を目にして、シビれた。音楽ファンもアートファンも、都市に住む人もそうでない人も、垣根を超えて誰もがそれぞれに手にすることができる充実や期待のようなものが、そこには詰まっているように思えた。さらに、そういうポジティブな波動が、石巻という被災地で生まれているというミラクル。東京に戻って話を聞きに行き、社をあげてこの芸術祭を応援していくことになった。

今回は、7月の本祭開催まで続く連載の第1弾。この芸術祭の仕掛け人である小林武史と、ワタリウム美術館の館長・和多利恵津子と同館CEOの和多利浩一の三人に、この芸術祭にかける想いを訊いた。

 

自分は「音楽人」だけど、音楽を妄信するように好きなタイプではないんだと思った。(小林)

ーまずは小林さんにお伺いしたいのですが。

小林はい。

-2005年から8年間、『ap bank fes』として音楽フェスをやられていましたが、そこから音楽だけではなくアートや食を含めた「総合祭」に向かっていったのは、どういう動機があったんですか?

小林『Reborn-Art Festival』(以下、『RAF』)の大元は、震災後の石巻に行ったことが始まりでした。「ap bank」(小林と、櫻井和寿、坂本龍一が拠出した資金をもとに設立された非営利団体)の活動に取り組んでいた僕にとって、「あの場所がこれからどのように復興していくのか?」ということはすごく大きな課題で、動くきっかけとしては十分だった。

左から:小林武史、和多利恵津子、和多利浩一

-やはり震災が契機になった、と。

小林それまでも「ap bank」で、環境や循環、サステイナブル社会、ということを捉えながら、フェスをやったり、Bank Bandの活動をやったりしていたわけで。今度は、「どうやって震災後の日本に役立てるか?」という命題を背負った意識があったんです。そこでなにかをやろうとなったときに、音楽フェスだと、とにかく期間が短いでしょう。

—そもそも小林さんが、いわゆる「音楽プロデューサー」という幅を超えて、「ap bank」を始められたり、こうやって芸術祭をやろうとする欲求は、どこから湧いてくるものなのでしょう?

小林逆にこういう活動をしてみて、自分で自分を「音楽人」だなって思うことはあって。最近は特に、僕の思考が「音楽人」であるということを、つくづく感じる。でも、越境していくことで見えるものってあるし、そういうことも必要なんですよね。

—思考が「音楽人」である、というのは?

小林僕は、コード進行からものを考えて生きているんだなって思うんです。子どもの頃は、クラシックの譜面を読んであのオタマジャクシをひたすら頭に叩き込む作業が大嫌いで。それって、音符の奴隷みたいにならないとできないんですよ。たとえそれで弾けるようになったとしても、その曲がなんなのかをいまいち知覚できない。でも最近になって、たとえばドビュッシーとかラヴェルといった作曲家たちのすごく好きな曲に対して、「コードアナライズ」をするようになって。

—「コードアナライズ」?

小林つまり、メロディーとコード、ルートと、和声の在り方を分析するということ。そうすると、コード進行のなかに、どういう感情の起伏があるのかがわかってきて、作曲者の意図もわかる。そういうふうに、自分は「音楽人」だけど、音楽を妄信するように好きなタイプではなくて、音楽に影響し合っている要素を感じながら、音楽に取り組んできたんだと思うんですよ。

浩一:それ、すっごく面白いと思う。音楽的な感性が、音楽だけに閉じるのではなくて、社会を俯瞰する術になっているということですよね。

小林そうですね。

浩一:きっと小林さんは、今の世の中をコードアナライズした上で、「フードやアートが必要なんだな」と思って選んだということなんでしょうね。かっこいいね。

恵津子:どこが抜けていて、どうしなければならないか、生理的にわかる、ということですよね。やはり小林さんはもの作りの人ですね、羨ましいです。

マスの音楽が経済的な結果を求めるから、どんどん退化している。そういう危惧って、音楽に限らずあるでしょう?(小林)

-周囲から、「小林さん、なんでアートに入ってくるの?」みたいな反対意見はなかったですか?

小林うん、まあ、面と向かってはあまり言われないだけかもしれないけどね(笑)。現状の音楽がどうしても単純化というか……もちろん、豊かなことを求めてやっているミュージシャンもいるけれども、全体的にはマスの音楽がどんどん結果が見える方向にいっている。経済的な結果を求めるから、ハッキリ言うとつまらなくなっている、退化しているんですよ。そういう危惧っていうのは、音楽に限らずあるでしょう?

浩一:音楽だけじゃなくて、各業界がそうなっているかもしれないですよね。アートも、マーケットが強くなりすぎちゃっていて、本当に興味深い価値がなかなか見出せなかったりする。僕もいつも考えるのが、アートをアートのなかで閉ざすのではなくて、社会とどうコミットしていくかということで。アートも音楽も、そのジャンルのなかだけのものではなくて、社会とのコミュニケーションとして機能しなければいけないと思う。

—お互いに、問題意識は共通だったと。

浩一:小林さんとワタリウムって、やっていることは全然違うけれど、基本的なスタンスみたいなものが近いのかもしれないですね。「なるほど、だから一緒にいるんだな」って、今初めて理解できました(笑)。