アートというある種の変化球を投げることで、思わぬ反応が返って来る。(ホンマ)

—実際に制作する3本の映像について、ネタバレにならない範囲で、具体的な内容を聞かせてもらえますか?

ナブチ:新作のひとつに『空で消していく』という映像作品があります。石巻の人に「消したいものはありますか?」というインタビューをした後に、iPhoneカメラのパノラマ機能を誤使用して、消したいものを空(そら)にしてしまう、という内容。この街は、ある意味ですべてが消えてしまった場所で、そこでさらに消したいものがあるんだろうか、って疑問からはじまった作品です。

ホンマ:聞いてみると、「消したいものなんてないよ」って言いながら、ざくざく出てくるんですよ。

ナブチ:最初は、自分は普通の人間だからって謙遜しているんだけれど、対話をしていくと、この土地ならではの消したいものがざくざく出てくる。たとえば、役所と交渉して建設予定の防波堤の高さを下げさせちゃった人とか。魚が苦手でまったく食べられないのに、漁師に嫁いでしまった人とか。

編集途中の一部映像を見せてもらった。『空で消していく 石巻2017』(2017年)

ーそうやって、角度を変えて話を聞くことで、知らなかったことが見えてくるんですね。

ホンマ:よく酒を酌み交わせば心を開いて話せるというけれど、飲みの席でも震災の話はなかなか出てこないんです。でも、アートというある種の変化球を投げることで、思わぬ反応が返って来る。それはとても興味深い作用だと思います。ライターさんのインタビューもそうじゃないですか? 「震災大変だったでしょう?」なんて聞いても、100回以上答えた定番の回答しか返ってこない。

ナブチ:どう作品に反映させるか難しいですが、本当に思いもしない話が聞けるんですよ。「石巻にずっと住み続けてきたのに、3.11のときだけ偶然石巻から離れていて震災を経験できなかった。だから石巻の他の人たちと感覚が断絶しちゃった」という人の話とか……。
ここの暮らしには、普通に接しているだけでは到達できないレイヤーがあるということに衝撃を覚えます。そのザワザワする感覚に、僕らもヒートアップしてしまうんです。

子どもたちが成人して自由を得るタームが、この場所にとってすごく大事だと思っています。(ナブチ)

ーキュンチョメは、ジャーナリスト以上にジャーナリズムの仕事をしていますね。

ナブチ:あ、それは違います。僕らがなにより気をつけないといけないのは、作品をただのドキュメンタリーにさせないこと。

ホンマ:アーティストがそれをやっても仕方ないから。

ナブチ:自分でも思うんですけど、「これってどこまでが本当なんだろう」みたいな感覚が常にあるわけです。その感覚を大切にしたい。本当のことなんだけど、フィクションのようにも見えるし、フィクションなんだけど本当のようにも見える。まさに『空で消していく』がそうじゃないですか。消しているのも嘘だし、空が増えていくのも嘘だし。

ホンマ:そんなことをやったところで、消したいものは消せないしね。むしろ消そうとすればするほど目立っちゃうという不条理な状況になったりもする。

ナブチ:僕らがインタビューした相手の話も、ひょっとしたら、無意識に自分に都合よく現実を曲げている可能性も高いわけですよ。フィクションの要素は絶対にある。でも、そこが面白いポイントなんですね。

ーキュンチョメは、最初に言ったように、「願い」とか「祈り」のようなものをアートの動機にはしていないですよね。現実と嘘の間で生きざるをえない、人間の業に向かい合っている?

ホンマ:願いや祈りのために作品を作ったことはないよね。

ナブチ:僕らはそれを信用していないです。ときとして、アートが願いや祈りを内包することはあるけれども、それは結果的にそうなったのであって、そのためにやるっていうのとは少し違う気がする。
被災地って、情報の選択ができる場所なんです。悲しい方向にも、楽しい方向にも振っていくことができる。そしてこの場所では、僕ら部外者は容易に加害者になれるんですよ。本当に一瞬で。そこから生じるピリピリした皮膚感覚こそが、自分たちが部外者として体験したいことだし、作品の核になる部分でもある。

ホンマ:嘘を叩き台にすることが、人間をより輝かせることもあるんです。そのためにも、まずは今この場所にある不条理を取捨選択せずに丸ごと飲み込みたいなと。

ー『RAF』は今年が初開催で、今後も継続していくビジョンを持っていますが、キュンチョメは被災地とこれからも付き合っていきますよね。その過程でどんなものを見たいと思っていますか?

ナブチ:蝉の話を出しましたが、この地にはたくさんタブーがあって、そのなかでも一番のタブーは震災の記憶を持つ子どもたちという存在なんだと思うんですよ。震災の記憶をもつ子どもたちに、外部の人間が興味本位で近づいて、子どもたちが傷つかないように、大人たちがケアしている。
2011年に5歳だった子どもが高校を卒業するまでの間は、その流れは続くと思うのですが、そういう変化もちゃんと見ていかないといけないと思うんですよね。

ホンマ:そうだね。

ナブチ:彼らが成人して自由を得るそのタームが、この場所にとってすごく大事だと思っています。

ホンマ:その過程を定点観測することで、見えないものが見えてくる気がするね。