7月22日より、アート・音楽・食で彩る総合祭『Reborn-Art Festival』が、宮城県石巻市を中心に開催される。ミュージシャンのライブや、人気シェフの作る地産地消の食が、直接的に東北の地の恵みを体感する機会だとすれば、アートは少し変化球の体験を与えてくれるかもしれない。今回の記事では、見たこともない球を投げつけてくる1組のアーティストを紹介したい。

その名はキュンチョメ。ホンマエリとナブチが結成したアートユニットは、震災以降の日本を、独自の目線、独特のセンスで見つめ続けている。『第17回岡本太郎現代芸術賞』において、最高賞である「岡本太郎賞」を受賞したことでも注目を集めた。『Reborn-Art Festival』開催の2か月前から現地に入り、石巻の人々と共に作品制作に取り組む二人に話を聞いた。

 

結成は2011年。やっぱり東日本大震災が大きな契機です。(ホンマ)

ーキュンチョメは、今回石巻市内で作品展示を予定されていますが、まずどうしても気になるのは、その変わったチーム名ですよね。

ホンマ:なんだそれ、って感じですよね。「キュンキュン、チョメチョメ」の略です(笑)

ーそれってまさに、下ネタ的な意味ですか?

ホンマ:「愛と死」という意味合いですね。

左から:ホンマエリ、ナブチ。作品展示予定場所である、石巻市の「ビューティーサロン ベル」前にて

ー結成時期は?

ホンマ:ほぼ2011年です。やっぱり、東日本大震災が大きな契機です。実際の出会いはもう少し前で、出身校が一緒だったんですよ。創形美術学校というアートとデザインの専門学校があって、私よりナブチのほうが年上なんですけど、彼は人生をこじらせていて、後輩として入学してきました。

ナブチ:6年間くらい引きこもりをしていて、それの明けだったんです。言ってみれば、ずっと土のなかにいた蝉が地上に出てきたみたいな、すごくグロテスクな状態(笑)。

ホンマ:人相がマジでやばかったですからね。絶対にこいつは人を殺すか死ぬかして終わるんだろうな、って感じ。そんな出会いです(笑)。


ー6年間引きこもっていた人が、突然アートの学校に行こうと思ったのはなぜですか?

ナブチ:創形美術学校って、アートに特化した学校ではないんですよ。もともとは商業系の萌え萌えアニメーターになりたくて、アニメの勉強をしようと思って入学したら、現代美術も学ぶことになって。在学中は特にアーティストとしてやっていく意思もなかったんです。
でも、卒業後に入った美学校(東京神保町にある前衛アートスクール。長い歴史を持ち、小説家の村上龍やChim↑Pomらを輩出している)で、アートの方法みたいなものをChim↑Pomの卯城(竜太)さんの教室で教わって(関連記事:Chim↑Pom×大森靖子 異ジャンル対談で話す、表現ってなんだ?)。それで「じゃあ(キュンチョメを)やろう」ってはじまりました。

ホンマ:創形にいたときからつるんではいたけどね。2008年に『横浜トリエンナーレ』の会場でゲリラパフォーマンスをやったり。

ナブチ:「キュンチョメ」のグループ名自体はあったものの、実際の活動はまるでなし、という状況が1年くらい続いて。でも美学校に入って奮起して、2011年3月にはじめて展示をやる予定だったんです。

ーまさに震災のタイミングで。それは偶然ですか?

ナブチ:偶然です。当然展示も開催中止になったし、どうやら激しく変わっていくであろう世界情勢のなかで、それまで作っていたもの、これから作ろうとしていたものについても考え直さないといけなくなった。でも、それこそが本当の意味でのキュンチョメの「結成」でした。

ー震災からすべてが動きはじめた。

ホンマ:そうですね。

ナブチ:ホンマさんは震災の直前まで某企業で働いていたんですけど、震災が起きてビックリして、会社を辞めましたからね。

ホンマ:「働いている場合じゃないよ!」と思って。震災で電車が止まっているのに、上司に「今日は社員面接の日だから、本社に来い」と呼び出されたときに、頭がおかしいんじゃないかと驚愕したんですよね。

自分たちにかけた「呪い」だったと思います。(ナブチ)

ーキュンチョメは、震災を題材にした作品をずっと作り続けていますね。

ホンマ:かなり多いです。「一回やって終わり」ではなくて、ずっと追っています。震災以降の日本を定点観測している感じ。震災直後の感覚、2年後の感覚、そして今の感覚の違いを肌で感じている。

ナブチ:作品自体に、それぞれの時期に自分たちがいちばんビビッドに感じていることや欲望が出ているんですね。その流れ自体が、震災後のリアルな現状とリンクしている気がします。

ー震災後最初の作品はどんな内容でしたか?

ホンマ:『指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く』という、タイトルどおりの作品です。2011年3月末はちょうど原発事故の放射能被害がいちばんヤバい時期だったのですが、まだ完全に封鎖されていない場所もあって、住民も多少は住んでいたんですね。そこで、将来封鎖が解かれたときに、タイムカプセルを掘り出して、そのなかに入れたパーティーグッズでパーティーをしよう、というプロジェクトでした。

『指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く』(2011年)

ーもちろん、そのタイムカプセルは今もまだ埋まっている?

ホンマ:埋まっていると思うのですが、封鎖された後、除染のためにかなりの土が除去されたらしいんですよね。目印になるように、大木の下に埋めたんですけど、ひょっとすると木自体もなくなっているかもしれない。

ーいつか被災地が復興してほしい、という祈りや願いを込めて埋めたのでしょうか?

ホンマ:願いっていうよりも……。

ナブチ:たぶん、自分たちにかけた「呪い」だったと思います。

ホンマ:私は横浜生まれで、東北という土地とまったく縁がなく、率直に言って震災を遠くに感じた人間の一人だったんです。だからこそ、痕跡を残すことで、震災から離れられなくなるという自分自身へのマーキングだったのかもしれません。