「何事も『一人』は退屈だよ。『一人』は、この世でいちばん最悪なこと!」
「じつは紹介したい友だちがいるんだ」。そう言って小屋に招き入れたのは、川田諒一と渡辺羅須の男子二名。彼らはユニットを組んで、オリジナルの小屋を作るプロジェクトを進めているという。
バリー:今回の作品を作るにあたって、まず、漠然とだけれど小屋を建てたいというイメージがあったんだ。それで、コーイチさんにお願いして、素敵な小屋を作ってくれるアーティストを紹介してもらった。それがこの二人なんだ。僕は「NIPPON BOYS」と呼んでいるよ(笑)。
石巻にバリーがやって来るまでのあいだ、NIPPON BOYSの二人が小屋を作り、合流してからは一緒に細かいところを手直ししたり、本格的にドローイングを描き始めたりしているらしい。ということは、今回の作品は「バリーの個人作品」ではないということだろうか?
バリー:のとおり。何事も「一人」なんて退屈だよ。「一人」は、この世でいちばん最悪なこと! 生きていてやることのすべてが「誰かと一緒に」でしょ。そう思わない?
こうやって僕もドローイングはするけれど、ここにやって来るみんなにも描いてほしいんだ。作りたかったのは、完全にフリーダムなスペース。みんなで作品を作っていくんだよ。完成したら、畳や枕を入れて、居心地のいいスペースにできるといいね。
「一人は、この世でいちばん最悪なこと!」というバリーの声はとても力強く響く。たしかに、これまでの彼の話や、彼が周囲に醸し出しているゆるやかな空気が、人と手を取り合いながら互いの「自由」を尊重し合うことこそ自然であるという感覚を与えてくれるからだ。
バリー:本当はこの下にあるビーチに小屋を置きたかったんだけどね……そうだ、NIPPON BOYS! 小屋を持ち運びできるようにして、毎日下に持っていくことはできないかな?
ルールはもちろんあるけれど、行政が僕らを支配しているわけじゃないからね。行政がやるべきなのは、僕らみたいになにかを変えようとしている人たちにストップをかけるのではなくて、砂浜や海に散乱してるプラスティックやゴミ対策について考えることだよ。
とにかく、僕たちはみんなフリーなんだ。ルールに従って生きていくわけじゃない。だから小屋の壁や屋根にもたくさんの余白を残していくつもり。時間の経過とともに、作品は変わっていくべきだし、いろんなライフがここに宿ったほうがいいと思うんだ。
バリーとNIPPON BOYS、そしてプロジェクトに関わるスタッフが作ろうとしている小屋は、かたちも大きさも素朴で控えめなものだ。でも、だからこそ、そこには誰もが共有できる未来へのビジョン、願いが宿っているように感じられた。
さらに会話が深まると、今のアメリカの政治に対する意見を語り始めてくれた
現在、バリーは『RAF』以外にもいくつかのプロジェクトを進めている。そのひとつが、ワタリウム美術館で、彼の奥さんと共に開催中の『バリー・マッギー+クレア・ロハス Big Sky Little Moon』展だ。2007年に同館で開催された個展のワイルドさ、尖った実験精神に比べると、今回は少し穏やかな空気が流れている印象があるが、なにか心境の変化があったのだろうか?
バリー:アメリカでは、政治がアウト・オブ・コントロールになっている。もう、彼の名前すら言いたくない。「My President」ではなくて「The President」と呼ぶよ。僕は彼を選んでないんだからさ。彼がみんなを神経過敏みたいな状態にさせてるし、反対運動もたくさん起きている。
だから展覧会のタイトルは、「World(=世界)」的なことではなくて、「People(=人)」に寄せたものにしたかったんだ。「Big Sky Little Moon(大きな空、小さな月)」というのは、この星にいる人全員が共有するものでしょう。どんなことが起きていてもね。
ネイティブアメリカンの人たちは「大きいもの」と「小さいもの」など、逆の意味を持つ単語をくっつけて言葉にすることがあるのだ、と彼は教えてくれた。それは調和をもたらすための言葉であり、アメリカで起こっている反トランプの運動のなかにその可能性を見出しているのだという。
バリー:僕は未来をポジティブに考えている。それはたしかだ。いくら政治がダメでも関係ない。変えていくのは「人」だからね。
僕は今、「人」に対してすごく気持ちが向いているんだよね。すごく「人」とつながりたい。だからこうやって日本に来られて、みんなとつながれて、経験や文化を共有できることがとても嬉しいよ。
政治がなにをやってるかなんて、興味がない。もちろん、関心を持たなきゃいけないんだけど、政治のあり方が人のあり方を象徴するわけではないんだから。そう思わない?
バリー・マッギーを、美術史的な位置付けで語るとすれば、冒頭で述べたようにコンテンポラリーアートとストリートアートを行き来する領域横断性を体現する存在だ。しかし、キース・ヘリングやバスキアのように、既に先行していた1980年世代のアーティストたちは少なくない。だから、バリーの本当の意味での革新性は、「横断」ではなく「異なる世界の調和」にあったのではないだろうか?
1999年に行われた彼の個展『ザ・バディー・システム』は、ニューヨークにあるDeitch Projectsというアート専門の有名ギャラリーで行われた。しかし、そのオープニングには、普段美術館に出入りするようなタイプではない若者たちが大勢押し寄せ、バリーにタグやドローイングのサインをせがんだという(作品管理が重要なアートの世界にあって、バリーの気軽さはとても特別なことだ)。そして、その風景は一晩中続いたそうだ。
バリー・マッギーであり、同時にTWISTでもある。そのような両面性を保ちつつ、人と人が結ばれる自由を望んできたアーティストが、震災から6年を経た東北にやって来たことの意味。それを改めて考える、不思議な共話の時間を私たちは過ごし、石巻を後にした。