「原案:宮沢賢治」のポストロックオペラとはどんな舞台だったのか?
アート・音楽・食という3つの柱のもと、東北は石巻の地で、51日間にわたって開催された『Reborn-Art Festival 2017』。その終盤を飾るイベントとして、開催前から注目を集めていた『post rock opera「四次元の賢治 -第1幕-」』が、8月29日と30日の2日間限定で上演された。
「原案:宮沢賢治、脚本:中沢新一、音楽:小林武史、映像:伊藤存」という異色のコラボレーションに、オオヤユウスケ(Polaris / SPENCER)、Salyu、佐藤千亜妃(きのこ帝国)、桐嶋ノドカという全員ミュージシャンであり、またシンガーでもある出演者たち。さらに、そのナレーションを安藤裕子が担当し、細野晴臣も一部ナレーションとして友情出演していることが発表されていた本作の内容とは、果たしてどんなものだったのか。8月30日の公演を観るため、石巻を訪れた。以下は、その内容についての詳細なレポートである。
「第一場 北上川の水中」——クラムボンが人間の手によって奪われる
石巻市街地中心部にある中瀬公園に設置された特設テント。着席で約300人が収容可能なこの場所で、『四次元の賢治』は上演される。まず目に留まったのは、ステージ脇に設置されたキーボード。あらかじめ録音したものに同期させた形で、小林武史がその場で演奏するという趣向だ。
そして暗転後、「第一場 北上川の水中」が静かに幕を開ける。水音のSEに乗せて、「ここは、石巻近くの北上川下流。川底には、月光がいっぱいにさしこみゆらめいています」という安藤裕子のナレーション。その言葉をはじめ、劇中で歌われる数々の歌の歌詞は、すべてステージ右手のスクリーンに投射される。
そして、中央のスクリーンに映し出された伊藤存の手描きのアニメーションの明滅に合わせて、音楽が鳴り始める。<サッダルマプンダリーカ・スートラム>――サンスクリット語で「法華経」を意味する言葉が、独特の節回しによって、何度も繰り返される。
やがて、ステージに登場し歌い始めたのは、赤い衣装を身にまとった佐藤と桐嶋の二人だった。舞台は川底。彼女たちが演じるのは、川蟹の兄弟だ。<クラムボンはわらったよ、ぷくぷく>と、時折ハーモニーを織り交ぜながら、伸びやかな歌声を響かせる佐藤と桐嶋。川蟹の兄弟は、光り輝く「金雲母(クラムボン)」の結晶を見つけ、その美しさに魅せられているようだ。そう、この場面は、宮沢賢治の短編童話『やまなし』をモチーフとしている。
しかし、川蟹の兄弟が「三枚羽根の天使」と称える金雲母は、突如人間の手によって奪われてしまう。悲嘆に暮れながらも、その奪還を誓い合う川蟹の兄弟。
「第二場 北上川の岸辺」——金雲母を拾い上げたのは、宮沢賢治だった
続いて、「第二場 北上川の岸辺」。オオヤユウスケ演じる宮沢賢治が、一人ステージに立っている。鉱物採取の小旅行で石巻を訪れたという彼が朗々と歌い出す。<煩悶ですか 煩悶ならば雨の降るとき 竹と楢の林の中がいいのです>。宮沢賢治の口語詩『春と修羅』に収められた「竹と楢」の一節だ。やがて彼は、川底にキラリと光るものを拾い上げる。そう、第一場で「金雲母」を拾い上げたのは、賢治だったのだ。
さらに、「蠕虫舞手(アンネリダタンツェーリン)」の一節をもとにした“「水底のひいさま」の歌”を歌い上げた彼は、水中から取り上げたものが金雲母であることに気づき驚嘆する。
その様子を傍で見つめる川蟹の兄弟。彼ら三人の歌が入り混じる。しかし賢治は、川蟹の存在に気づくことなく金雲母をズックにしまい込み、意気揚々と立ち去ってしまうのだった。
「第三場 花巻」——賢治と妹・としこ、二人は強さを求める
そして、「第三幕 花巻」。旅行から戻った賢治は、ベートーベンの“田園”を聴きながら、持ち帰った資料の整理をしている。ステージには、Salyu演じる賢治の妹・としこの姿が。体調を崩したため、東京の女学校をやめて故郷の花巻に戻ってきたばかりであるという彼女が歌い出す。<わたしが雪の下のふきのとうのように強い人間であったら>(“雪の下のふきのとう”)。どこか憂いと悲しみを湛えたSalyuの歌が、観客の耳目をさらう。
<わたしに雪の下のふきのとうの強さをください>という、としこの切なる願い。やがてそこに賢治も加わり、代わる代わる歌い上げる。「たしかな強さを持つもの」——賢治にとってのそれは、金雲母に象徴される揺るぎない不変性を持った鉱物世界であり、としこにとってのそれは、春の日を信じて雪の下で耐えるふきのとうのことだ。同じ歌を歌いながらもすれ違う二人の心。
その後、連れだって散歩に出かけた二人は、たわむれに軽やかな曲を歌い始める。<ははあ、あいつは翡翠だ かわせみさ 目玉の赤い>。
すると再びどこからか、マントラのように繰り返される<サッダルマプンダリーカ・スートラム>の響きが聴こえてくる。クラムボンを奪還するため、川蟹の兄弟が花巻までやってきたのだ。
赤い衣装を脱ぎ捨て、人間の姿に変わった川蟹の兄(佐藤)が、ジャズのスキャットさながら、歌うように話しかける。<宮沢先生、僕ですよ。仙台の『法華経』研究会で一緒だった蟹沢壽一です>。記憶を辿りながらも覚えのない賢治は、そのことを詫びつつ、その青年とさまざまなことを語り合う。法華経のこと、宇宙のこと、そして生命のこと。<わたくしはわたくしであってわたくしでない>、<真実は四次元延長の中で立証されます>と、二人が歌う。
しかし、蟹沢に見せようと賢治がポケットから金雲母を取り出した瞬間、周囲の空気は一転。川蟹の姿に戻った兄弟もろとも、金雲母に対するそれぞれの思いを交錯させながら、音楽的なクライマックスを迎えるのだった。第三場、終了。今回の公演は、ここまでだ。
この先も続く。中沢新一の「思想」、小林武史の「音楽」、宮沢賢治の「言葉」が織りなす、刺激的な舞台
ここで改めて、今回の上演に際して脚本を担当した中沢新一と、音楽を担当した小林武史の言葉を思い出してみることにしよう。中沢新一は今回の演目について、こんなふうに述べていた。「人間には人間の論理が、川蟹には川蟹の論理があって、それらはふだん、相容れないと考えられてはいるけれども、おのおのが入り込んだとき、実現されるものがある」(「宮沢賢治の言葉を歌う、異例の舞台が開幕。リハでSalyuらを取材」より引用)。
この部分は、まさしく今回の演目の具体的な内容と直接関係した言葉だったのだろう。人間の論理と川蟹の論理。さらに中沢新一は、そこで「実現されるもの」、それがすなわち宮沢賢治にとっての「詩」であり「童謡」であると規定する。そう、今回の『四次元の賢治』という戯曲は、宮沢賢治の作品をコラージュしながら、その思想を立体的に表現しようという試みなのだ。
一方、小林武史は、今回の演目について、「この世には目に見えない大切なものがあって、そのありかを四次元と呼んだときにみえてくる世界をここで描いているのだと思います」と語っていた。「目に見えない大切なもの」。それを表現する際、音楽というものは、ある意味非常に雄弁である。そもそも、音楽自体、目には見えないものだから。
けれども、確かに感じるものがある。今回、彼が用意したのは、いわゆるミュージカル然とした派手やかな楽曲ではない。むしろ、彼がこれまで生み出してきたポップミュージックに近い感覚の楽曲たち(実際、Salyuは今回の演目のために書かれた“雪の下のふきのとう”を自身のライブで披露している)であり、同じメロディーやフレーズが形を変えて繰り返し登場するなど、いわゆる「コンセプトアルバム」に近い形のものとなっていた。一つひとつが歌ものの楽曲として成立しながらも、その全体として大きな物語を描き出すような音楽。
宮沢賢治の作品、とりわけ彼が書き記した詩や散文に関しては、その独特な「言葉の響き」が非常に重要なものとなっている。ぷくぷくと笑うクラムボンのように、それがなにを意味するのか以前に、その発語がもたらす感覚こそが重要なのだ。そんな賢治の言葉の魅力は、それが「歌」となった場合、よりいっそう際立つ。それが今回の上演を見た、いちばんの発見だった。
自然と人間、強さと弱さ、兄と妹の絆、そして宇宙的な広がりをみせる哲学的思考に至るまで、この演目のなかには、さまざまなテーマが散りばめられている。それは、震災による大きな被害から復興を遂げつつある、この石巻という場所の「記憶」とあいまって、観る者の心に多面的な意味性を残してゆくのだった。
三幕仕立ての戯曲として構想されているという『post rock opera「四次元の賢治」』。今回上演されたのは、その「第1部」、約60分に過ぎない。もちろん、それだけでも出演者たちの「歌」をはじめ、かなり見応えのあるものに仕上がっていたとは思うが、願わくば、一度全編通して観てみたいというのが率直な感想だ。この物語の行きつく先は、果たしてどこなのか。今回の上演は、そう思わせるに十分足る、実に刺激的な体験だった。