Reborn-Art Festivalの魅力の一翼を担う『食』。今夏の『TRANSIT! Reborn-Art 2018 』の開催も発表となり、そこで本年度の新任フード・ディレクターも発表になった。それが醸造家として知られるGrape Republicの藤巻一臣氏だ。藤巻氏はこれまでも2016年の『Reborn-Art DINING』をはじめ、2017年には前任フード・ディレクターのFattoria AL FIORE目黒浩敬氏とワインイベントを開催するなどReborn-Art Festival(以下RAF)に深く関わってきていた。そういったなか小林武史が今年のフード・ディレクターとして白羽の矢を立てたのが藤巻氏だった。小林武史と藤巻一臣。ふたりが画策するRAFの新たな食のヴィジョンとはいかに−−。


 

利他的であるほうがまちがいなく物事の進むスピードが速い(藤巻)

−−藤巻さんは2016年の『Reborn-Art DINING』から参加されていたんですよね。

藤巻 そうそう。あのときからReborn-Art DININGは「ありえないことだらけ」でしたよね。集まったシェフが日本を代表するようなオールスター・チームで、しかものその凄腕のシェフたちがイベント的な軽いメニューじゃなくきちんとお客様に提供するレベルの料理を作るんだからものすごく難しいことをやろうとしてるのは最初からわかってた。だから、みんなものすごい気合が入ってましたよね。しかも、それをやってるところからはがんがん(ap bank fesの)ステージの様子も見えるし音楽も聴こえてくるわけ!

−−ものすごい状況ですよね。

藤巻 しかもそれが「野球場のホットドッグ屋」じゃないんですよ。音楽のステージもオールスターだけど、こっちも食のオールスターでやってるんだから。負けてられないってかんじで。みんなでテンションあげまくってやってた。ライヴが終わったら小林さんもこっちまで食べにきてくれて!

小林 (藤巻氏の語りを黙って聞いていたがおもむろに)いやもうこんな感じでね、藤巻さんというひとはとにかく熱量がはんぱないんです(笑)。僕もサステナビリティとかオーガニックとか長く関わってきてるけど、こういうね、熱をもって語れるひとが必要なんだよなってどこかで直感的に思ってたんですよ。それが彼を選んだひとつのおおきな理由。シェフって得てして一匹狼的なひとが多いから、そういうひとたちをまとめるような存在はこのくらい熱量が必要なんじゃないかなと思って。

藤巻 そうですね、(シェフは)社会性のないひとが多いですから(笑)。

小林 これは余談なんだけど、以前京都のオーガニックワインを売ってる店で偶然会ったことがあるんですね。そのときも自然だけれど熱い語り口というか、食やオーガニックというものをうわべではなく全身で体現しているひとなんだなというのが伝わってきて。そこからこの人と何かやれるといいなとは感じ始めていて、ようやくこのタイミングであらためて次回のフード・ディレクターをお願いするに至ったというわけなんだけど。そもそも藤巻さんとしては「フード・ディレクターってなにをするんだ?」くらいに思ってたと思いますが。

藤巻 いや、去年の目黒(浩敬氏。2016年、2017年のフード・ディレクター)さんが日に日にやつれていくのを見てましたからだいたい様子はわかってます(笑)。食に関わる者としてもちろん目黒さんのことは以前から知っていまして。あの目黒さんがRAFで動くということは、小林さんにそれだけの何かがあるんだろうなというのは感じてました。というのも、目黒さんというひとは「承認欲求ゼロ」みたいなひとですからね。前に出ようとか目立とうとかそういうのはまったくない。そんなひとがあれだけ身を削って尽力しているということは、これは小林さんがキーなんだろうな、と。そういう意味で小林さんにすごく興味は持っていました。

−−当初はap bankのこともあまりご存知なかったとか?

藤巻 そうなんです。わたしも自分で会社をやってますので、財源はどうなっているのか、利益はどう使われるのか、そういったことがはっきりしないとap bankさんともRAFともちゃんと関われないなとは思っていて。それでわざわざ小林さんに山形(藤巻氏の経営するワイナリー「Grape Republic」)まで来ていただいていろいろ話しをさせてもらったんですよね。

小林 あれはお互いを知るいいプロセスだったよね。まあ結局、最後は飲んだくれてたわけだけど(笑)。

藤巻 わたしも長く東京でレストランを経営していましたから、有名な方やセレブリティの方には数々出会ってきました。そういう方の中にも志はあっていろんなことをやろうとするひともいるんですが、小林さんが特殊なのはやってることのスタンスが「百姓」なんですよ。

小林 それはまたすごい例えがきたけど(笑)、どういうこと?

藤巻 その先が泥であり沼であるのがわかっていても自分からそこに泥だらけになってつっこんでいくんですよ、小林さんというひとは。それってある意味で百姓のやることそのものですよね。

小林 まあそういうことなのかもね。

藤巻 世の中たいていのことはお金で格好がついたりするわけです。アメリカのセレブリティなんてのは、ポンと大金を寄付しました基金を立ち上げました、あとはよろしく、で終わるパターンがほとんど。でも、小林さんはそうじゃないことばかりに取り組もうとしている。自分から腕まくりをして、泥だらけになって。

小林 ・・・まぁ、そういうシンプルな姿勢のところで意気投合できたのはよかったよね(笑)。

藤巻 わたし自身のことでいうと、東日本大震災が起こるまでの自分を振り返ってみるとそれはもうすごく利己的な生き方だったんです。わたしのいた飲食業界というのは、他人の頭を踏みつけてでもというくらいの気持ちでないと生き残れない世界でしたから。個人的にもボランティアなんて一度もしたことがないし、東北にも行ったことがなかった。北は修学旅行で行った日光東照宮が北限で(笑)。それが震災をきっかけに毎週のように東北に通うようになって、そこから自分のなかでなにかがどんどん変わっていったんです。

小林 震災という大きなネガティブがポジティブを生むということは僕もたくさん目にしてきたし、自分自身も感じてきたことですね。それが藤巻さんにも起こった、と。

藤巻 そうですね。震災直後に食の支援として東京で100kgの豚肉が用意できたことがあったんですね。それを調理して東北に持っていくのに西麻布にあるウチの店でスタッフと悪戦苦闘してたんですが、あまりの量でどうにもラチがあかなくて。それでTwitterで「近郊のシェフで手伝えるひといませんか?」と募ってみたら、雑誌でしかみたことのないような有名シェフたちが包丁片手にどんどん集まってくれて。そういうことがあると、利己的なところで競っていたのがだんだんばかばかしくもなってきて。

小林 利己的であることは合理的かもしれないけど、利他的であることや不合理や不便でしか得られないというものがあるからね。

藤巻 そうなんですよ。しかも利他的であるほうがまちがいなく物事の進むスピードが速いですね。自分が利他的になれば周りのひとも利他的に考えてくれる。だれかの利他的に影響されてまた自分も動くし。そうやってどんどんスピードが上がっていく。

小林 それは本当にそう。

藤巻 震災が起きるまでは、日本はもう制覇しちゃったから次の目標はニューヨークかシンガポールに支店を出しちゃうか?くらいにしか考えてなかったんです。いま思うとなんだか浮わついてましたよね。それが、東北に通ってた当時に生江(レフェルヴェソンスの生江史伸氏)と話していて「アニキ、でもこれ(復興支援)はじめたら10年はやめられないですよね」って言われたことがあって。それから自分でも「10年やる」ということを公言するようになったんです。それで深く東北の現状を考えるようになると、地域のこと、農業のことがいろいろ見えてきて。すると海外に出ていくことが自分のなかでうまくつながらなくなってきたんですよね。

小林 そこから山形になったのはどうして?

藤巻 もともとわたしのビジネスパートナーの実家が山形ですごくおいしい葡萄を作っていて。以前から「一次産業すごいな」という思いはずっとあったんです。それがちょうど震災から5年くらいだったんですが、「東北で10年やる」と言ったからにはそれを曲げることは絶対にしたくなかったし、そうなると海外出店でもない。どうしたらいいのかといろいろ悩んでたときにとある醸造家から「それ、藤巻さんが山形でワイン作ったらぜんぶ解決しないですか?」と言われて。そこからですね。山形も言ってみれば被災地じゃないですか。東北/北関東への風評被害が根強いのもわかっていたし。関西のひとはわざわざ東北の野菜なんて買わないですからね。であれば、山形でとんでもなくおいしいワインを作ってやろうと思ったんです。そうすれば東北全体としてもなにかが変わっていくんじゃないかと。

東北にはネガな部分を背負ってきたからこその魅力がある(小林)

小林 なるほど。もともと藤巻さんはずっと東京の第一線のレストランで、サービスとしてこの話術を駆使して活躍していたわけだけど、それが転じて今では山形の大自然のなかでひとりで農業をやっていて。たまに東京も来てくれるけど基本的にはできるだけ向こうにいようとしますよね。それだけのおおきな啓示のようなものがあったんだろうね。

藤巻 そうかもしれないですね。畑でこてんぱんになるまで働いたあと、ひとりで月をみながら音楽聴いて自分で作ったワイン飲んだら他に必要なものなんて思いつかないですね。畑にいると自分がエコサイクルの一部になった感じがします。あんなに空気と水と食べ物がうまいところって、それまでは南の島とかにあるもんだと思ってたんですけど、それが東北にあったんですよ。

小林 僕も山形の出身だけど、雪深いことも含めて東北というのは日本のなかでネガな部分を背負ってきたところがあって。でも、だからこその魅力があるんですよね。宮沢賢治の宇宙感とかもそうで。合理性や経済性に長けている場所じゃないからこそ残っている良さ。光が当たっているところだけが世界だと思うと途端に世界の捉え方は広がりをもてなくなる。震災後に「サステナビリティ」ということをあらためて考えると、そのあたりが一致してきたところはあるね。

−−そういったことが今年の『TRANSIT! Reborn-Art 2018』では味わえるわけですね。

小林 ここで「食べる」ということはなんなのか。食材が僕らにとってどういうものなのか。どういう知恵をもってすれば美味しいと思うのか。そういうことを芯から感じられる場所になるといいですね。

藤巻 そうですね。石巻で暮らしているひとが、まず賛同してくれて、参加してくれて、協力してくれる。そんな流れを作れたらいいなと思ってます。わたしたちは飽くまできっかけであって、持続していくのは地元のひとたちだと思うので。そこからまた5年10年続いていけばわたしがなにかをやらせていただく意味があるのかなと思っています。オーガニックは健康のためじゃなく環境のため。サステナビリティは自分のためじゃなく未来のため。自分が山形で感じたことを、すでに泥臭くやっていた小林さんとなら体を4分割してでもやらないといけないなと思ってます(笑)。

小林 「地域から世界ができている」というのは地方型の芸術祭を考えるときの指針です。僕らがやることがそういう営みや循環ができていく土壌になることが大事ですね。大都市にはできない特別なおもしろい舞台が石巻や牡鹿半島にはありますから。