真夏の熱波と台風の予感をはらんだ8月初頭、「TRANSIT! Reborn-Art 2018」のオープニングのメインイベントである「Reborn-Art DINING “牡鹿の鹿をいただく”」が牡鹿ビレッジにて開催された。中心となったのは、自然との共存と循環を尊び愛することを料理で表現、愉しむことをテーマにしたふたりのシェフ、ジェローム・ワーグと原川慎一郎。牡鹿半島の猟師である小野寺 望が獲った鹿という食材を得て、究極の自然派料理ともいうべきレストランが真夏の空の下に展開された。

ふたりのシェフ、牡鹿へ――。

東京から新幹線で1時間半、そして仙台からさらに車で1時間半。「the Blind Donkey」のシェフ、ジェローム・ワーグと原川慎一郎が牡鹿ビレッジに到着したのは、暑さもピークの午後1時。牡鹿ビレッジ「はまさいさい」前のインフォメーションセンターでは、ルッコラや二十日大根、水菜などの種を小さな土の塊の中に封じ込めて「種だんご」をつくり、蒔く「Seed ball CIRCLE」を開催中。ちびっこたちとともにジェローム、原川も種だんごをつくり、自然農法の一端を体験した。

真っ白な鹿の佇む浜へ、鹿を連れて

14時過ぎ、ジェロームと原川は小野寺 望と合流。小野寺の冷蔵車に積まれた仔鹿とも対面した。昨年の春頃に生まれた仔鹿は、まだ角が10㎝ほどで、季節柄か袋角に覆われていた。1週間前に獲った鹿は丁寧な血抜きを施され、放射線量も検査済み。山の保全と食料としての安全、そのどちらへの責任をも果たすべく、小野寺は活動している。
 ここからは、徒歩で浜まで。鹿を太い木の枝に括り付け、大人ふたりで担ぎ運ぶ。調理に使うクロモジや朴の木の枝も一緒に運ぶ様子は、まるで神の祭壇へ供物を運ぶ祭列のようだ。浜へと至る山道には、間隔をおいてスピーカーが配され、小林武史によるアンビエント・ミュージックが響いている。

緑のトンネルを抜け、牡蠣殻が敷き詰められた真っ白な浜へ。名和晃平による「White Deer(Oshika)」を見上げれば、海の青、空の青とのコントラストがまぶしい。「Reborn-Art DINING」の前に大きなテーブルが置かれ、鹿はその上へと乗せられた。

参加者も続々と到着し、「Reborn-Art DINING」のデッキにて小林武史から開会の挨拶が。
「牡鹿半島の自然にとって、増えすぎた鹿は時に害となっています。害獣となってしまった鹿を狩猟し、駆除するだけでなく、食するということを通して自然の循環の環の中に戻してやることを、小野寺さんやジェロームさん、原川さんの仕事を通して考えていこう、というのが今回のイベント。生きているものを殺し、食べるということ自体に、賛否両論があるでしょう。でも、賛否両論あっていいと思うんです。そのことについて考えること自体に、大きな意味がある。“命をいただく”ということ。その意味を、みんなで考えていきましょう」

火を熾し、皮を剥ぐ。“Deer”から“Venison”へ

今回の調理法は、地面に穴を掘り、石を敷き詰めて熱し、その焼き石の余熱を利用して肉を蒸し焼きにする原始的な土窯調理。まずはジェロームが率先して穴を掘り、浜に転がっている石を敷き詰めていく。火を熾し、十分に燃え盛るのを確認して再び調理テーブルへ。

調理テーブルでは、小野寺が皮を剥ぐレクチャー。ジェローム、原川ともに鹿を捌くのは初めてではないけれど、猟師直伝の手法に大いに感心しつつ実践へ。

鹿の下にも周囲にもクロモジや朴の木、山椒の木の枝が敷き詰められ、青く冴え冴えとした山の香りが満たされていた。鹿の餌となり、寝床となっていた木々たち。それは、獣肉の匂いを消すとともに、どこかこの作業を敬虔なものに感じさせるファクターにもなっている。原川に促され、小林も皮を剥ぐ作業に参加。ナイフを手にし、皮と肉とに触れた途端、それまでのにこやかな顔から一転、真剣な表情に。「残酷だとかグロテスクだとか、そんな負の意識はどこかへ飛んでいきますね。まるで荘厳な儀式に参加しているような、祈りたいような気持になりました」

先ほどまで、愛らしさや憐憫の情を感じさせていた鹿(Deel→Deer)が、食料である鹿肉(Venison)になる。現代に生きる我々は、その工程を眼にすることがほとんどない。けれど、我々が口にしているもののほとんどすべてがこうした生物の命であることを思い返すことは、とても大切なことだ。無意味に殺すのではなく、闇雲に恐れるのではなく、敬意と感謝を抱いて向き合うこと。必要十分なだけ獲り、無駄なく料理し、食べて命と暮らしの糧にすること。それが、他の命を食らわねば生きられない我々人間のできる、精一杯のことなのかもしれない。
 波打ち際に鹿を運び、腹腔などをきれいに洗う。澄んだ海水の塩分が、程よい下味にもなる。

ジェロームと原川、ふたりの調理。

ジェロームが手にしているのは、「伊達の旨塩」と太白胡麻油。旨塩をひとなめして、さっきまで泳いでいた海の水の味との共通点を感じたのか、にこにこしながら頷く。旨塩と胡麻油を、まんべんなく鹿にすり込んでいく。「なぜオリーブオイルなどではなく、胡麻油?」と訊けば、「できるだけこの牡鹿に近いもの、日本のもので調理したかったから」という答えが。

肉の外側と内側、腿の付け根にまでしっかりと旨塩と胡麻油をすり込んだら、腹腔にタマネギとニンニク、山椒の枝葉をぎっしりと詰め込んでゆく。山椒の枝には実が鈴なりで、葉も実も擦れ合うたびに芳しい香りを立てている。この鹿が育った山の香りだから、その肉に合わないわけがない。香味野菜と山椒の枝葉を詰めたその腹を、タコ糸で縫い合わせ、閉じていく。

腹を閉じ、四肢を胴にくっつけるように折りたたんだ鹿は、朴葉とクロモジ、山椒の枝葉でくるんで二重にした麻布で巻いて糸で縛り、さらに晒布に包む。これを、土窯のもとへ。十分に熱せられた土窯には、これまたクロモジと朴葉、山椒の枝葉をぎっしりと敷き詰め、香りのベッドを作って鹿を置き、上からも葉を敷いて石で留め置き、牡蠣殻と土をかけて埋めた。

それはまるで、小さな野辺送りのようで。スピーカーから流れるのは、偶然にもジェフ・バックリィの「ハレルヤ」。ヒグラシのコーラス。赤く海辺を照らしつつある夕陽の色彩も相まって、参加者の皆さんもどこか敬虔な面持ちで。

午後5時。1日目の作業がすべて終わった時、その場にいた全員が、自然の中にある小さな神さまを見たような気持になっていた。
 そして、調理の総仕上げは明日こそが本番。実際に味わうのも、もちろん明日。これほどに原始的な調理法は、ジェロームも原川も初めてだから、明日、窯を開いた時の状態がとても楽しみだ。

後編につづきます