3月10日に実施した「鮎川のこと教えて下さい!」に参加したアーティストのYottaさんと岩井さんは、翌日3月11日も鮎川に滞在していました。地元の方に教えてもらい、地域のお寺で行われる慰霊祭に参加し、最後には海に“加持土砂”をまいて、犠牲者の供養を願いました。今年の3月11日は風もあまりなく、気持ちのよい青々とした空と海。

そんな中、午後には「鮎川のこと教えて下さい!」で知り合った方から、“おちゃっこ”にお呼ばれし、ありがたくお邪魔しました。

手作りのお料理(ひじきの玉ねぎとピーマンのマヨネーズ味のサラダ、鯨の大和煮、サザエ入りの五目ご飯など)でおちゃっこをしながら、Yottaさん、岩井さんの御出身地(どちらも関西)と東北の違いのこと、鮎川でやろうとしていること、震災時のお話などを伺います。

こちらの方は、震災前までは船着き場にあったお土産屋と食堂を営んでいましたが、津波で自宅とお店ともども流されてしまいました。販売していた鯨の骨や皮などの加工品はあちこちに流されてしまい、手元に残ったのはほんのわずか。部屋の棚に大切に飾られいるそれらの商品を、丁寧に教えて頂きました。泥や海水がかかったためその跡も残っているものもありました。

ひとつひとつのお話から、鮎川らしいキーワードが出てきます。「鮎川には昔キャバレーがあった」「鯨の●●が美味しい」などなど。また、震災直後に1本線の牡鹿半島の中の先端である鮎川は、支援が届くのが遅かった話や、舟を使った支援があった話など。話しだすと、いろいろなことを思い出し、あっという間に時間がたっていきました。

最後には、近くの森林の様子を見せて頂いたり、

お土産のおにぎりまで作って頂いたりと、至れり尽くせりのおちゃっこでした。計らずとも、3,11の日のおちゃっこでしたが、出身地も違い、直接的な被害は受けていない私たちでしたが、この日に鮎川にいさせてもらいながら、多くの震災の影響のひとつに触れさせて頂きました。おちゃっこ時の優しさや、お話からわかる誠実さ、お人柄に、とても救われたような時間でした。

↑番外編

このようなストーブのパイプは関西ではあまり見かけないようです。関西出身チームだからこその、東北エリアとの違いにも気づけました。防災無線が各家庭で流れるのも、関西では馴染みがないとのこと…。宮城県出身の私も当たり前だと思っていたので、驚きでした。

(しむら)