JR代々木駅からほど近い<代々木VILLAGE>は、話題のレストランやベーカリーなどが集まった人気の商業施設。特に中庭やテラスを飾る四季折々かつクィアな緑の数々は西畠清順氏プロデュースによるもので、格好の散策スポットにもなっている(その傍らにはChim↑Pomの作品も常設!!!)。

そしてこの場所はReborn-Art Festivalの東京拠点でもあり、今後はフェス開催に向けていろいろな情報がここから発信されていく予定となっています。そのさきがけとして新企画の『Reborn-Art Dialogue(リボーンアート・ダイアログ)』がスタート! 小林武史をホストに、初回はゲストとして中沢新一氏を迎え、世界情勢から共作オペラの話題まで、濃密なアジテーションのひとときとなりました。

ここではその当日の模様を抜粋してお届けします!

 

わかりやすいことに頼る難しさ

小林 あらためまして。中沢さんとは以前、震災後にWebの記事(「いま、僕らが探さなければならないこと」2012年5月)で対談をさせてもらって。そのあとのap bank fes(同年8月)では淡路島のトークイベントにも登壇していただきましたね。

中沢 そうでした、あの頃はまだ二人の関係も手探り状態でしたが(笑)。

小林 あれからもう6年近く経つわけですが、その当時から中沢さん含め僕らがずっと話してきたのが「本当の復興とはなにか」ということでした。あれから6年という時を経て、仙台周辺などはゼネコンによる復興の大きな成果として大変キレイにはなってきていますが、一方で石巻をはじめ僕らがap bankとしてボランティア活動をしていた地域などではどうにも人口流出が止まらない感があって。

中沢 人間が作る世界なんだから本当はまず心がどうあるかというのが重要です。もちろん防潮堤を作るのも大切なんだとは思うんですけど。

小林 「内側からの復興」ですよね。

中沢 ええ。あれから世界も大きな変化を経て、ヨーロッパでもアメリカでもいろいろな問題が露わになってきています。ある意味では、日本人は震災によってそれを世界よりも早い段階で経験したとも言えると思うんです。若い人も含めみんなが深く物事を考えようとした時期だったといいますか。

小林 そうですね。女性が特に敏感でしたし、早かったように思います。

中沢 人が深く考える時期には波があります。そういうときには結びつきが大きなテーマとなります。僕らの親の世代でいえば、戦争があってむりやり国民として団結させられて、それが敗戦をむかえて大崩壊した。そのあとには学生と労働者が団結した安保闘争の時代があった。それぞれの時代時代に若者はなにかの大きなきっかけがあると人の結びつきについて深く考えるんです。ただ、その高揚はいつしか風化していってしまう。人生は長いですし、いつまでも若くはいられない。でも若いときに考えたことに意味がなかったかというとそうでもなくて。大学紛争のあとどこかの企業に就職して定年までうまくやり抜いたなんて人でも、心の奥底でどこか変わってない部分を抱えているものです。しかしずっと人生で一貫してそういうことを考え抜くという人は、昔からいたって少ないです。とくに日本人はあきっぽいし。

小林 ヨーロッパの人たちみたいに表立って喧々諤々と議論を尽くし続けるような体質は日本人には馴染まないんでしょうかね。カンヌ(映画祭)でパルム・ドールを受賞する作品がテーマにするような、正/誤や男/女といった対立項をゴリゴリと突き詰めるようなのを僕は日本人として非常に興味深くみているんですが、それでもEUは崩壊に向かっているようだし、その議論の果てに世界を切り開くイデオロギー的な正解がヨーロッパから出てきたわけでもない。

中沢 過激にはなってきていますけどね。

小林 極右的な過激さですね。

中沢 過激であるということが最新のイデオロギーで、それは右だけの話じゃないですね。いままで中道だった勢力が過激化している。フランスに於けるルペンとマクロンという対立軸はこれまでまったくなかった形でした。マクロンはメディアでは中道といわれてましたけど、あの人はロスチャイルド家(ヨーロッパ随一のユダヤ系財閥)のために働いてきた人ですから、じつは中道でもなんでもなく銀行家なんですね。民族主義 vs グローバル金融というのが、ほんとうの対立軸です。この対立軸から見えてくるのは、左翼ばかりか中道も力を失ってしまったという現実です。この対立はとても危険です。震災をきっかけに日本の若者もそういったことも含めいろいろ深く考えたし、日本の場合は困ったことに少しまともにものを考えようとなったところへ、オリンピックを持ってきたものだから、また元どおりの日本人に逆戻りしてしまいました。オリンピックにはしてやられましたね。

小林 日本人はそうやって新しいものに対してぱっと飛びついてブームにして流すというところがある。江戸からの日本人の特質というのか。外国人からみた江戸時代の日本人像って、ニコニコして愛想はいいけど、よくよくみるとふざけてるんじゃないかってくらいへらへらしていい加減だったっていいますからね。

中沢 ペリーが浦賀にやってきたっていう緊迫した状況でも、幕府の役人は冗談ばっかり言ってたって記録ありますし。

小林 中沢さんもそういうとこありますよね(笑)。

中沢 冗談が病的に好きなんです(笑)

小林 そういうものの根っこには日本人特有の死生観みたいなものがあるんだと思います。ふざけつつ笑い飛ばす、というような。そういうのに長けてるんでしょう。

中沢 生と死の間を行くサーファーなんです。

小林 日本は食べ物もそうで。西欧では「肉と赤ワイン」のような鉄分同士のマリアージュ。あれは地上の生命の最高のいただきかたのひとつだと思うんですが、一方で日本はというと「刺身に醤油と日本酒」ですよ。発酵というある種の「腐る」プロセスを経て作った調味料を生の魚に付けてそれを穀物の酒で包み込むという、マリアージュともなんともいえないとても不思議な感覚(笑)。非常に生臭い世界ですよね。

中沢 西欧の文化は「自然から離れること」を主題にしてきました。食物に火に通すことは、自然を否定することとして重要な意味をもった。それを「上に向かう」調理とするなら、日本は「下に近づく」調理を好み、そのほうが文化的だと価値づけた。いつも自然の側に片足をつっこんで、生と死の境界で生きることに意味を見出してきた。死と自然に近いものを好む文化です。

小林 そうなんですよね。生と死をいったりきたりするその「曖昧さ」が、良くも悪くも日本人の依存的な体質というのにもつながっているんでしょうか。さっき特に女性がそうだったと言いましたけど、原発事故に直面したときに人が直感的に思ったのは「命の循環が阻害される」という至極あたりまえの危機感でした。子孫を生み繋ぐ女性の性として、ある種の動物的な拒否感があった。でも、それに対して立ちはだかったのが、大きな力、父権的な力に依存する側の論理です。「あなたはそれ(拒否)でいいかもしれないが、それで旦那や息子の仕事がなくなってもいいの?」という突きつけです。集団や経済や社会を優先する考え方ですよね。今日は脱・原発がテーマではないんですが、あのころ強く感じたのは「脱・原発」とはイコール「脱・依存」なんだということでした。

中沢 そういう「依存」も、例の森友学園問題で出てきた「忖度」というのも、どちらも日本人のひとつの特質でしょうね。お米を作りはじめてからの習い性です。農耕というのは集団で空気を読みながら「せーの」でやらなければできないものです。水路の上流のほうで水を使い過ぎてしまったら下流が困る。全体のバランスをみながらやっていくわけです。そこには「忖度」のような不公正につながるマイナス面もあるけれど、依存しあえる世界というのは「中間層が厚い」ともいうことができます。ちょうどオゾン層や大気が介在することによって地球上の人間が紫外線などから守られているようなかんじですか。これまでは家族や共同体というのも「個」を「普遍」から守る一種の中間層としての役割を担ってきましたが、いまの世界ではそういう中間層がことごとく解体途上にあります。僕たちがこどもの頃に知っていた家族の形はすでにこの国には存在していません。そこで頼るものがないから、国家権力や日本会議などに守ってもらいたい。でも籠池さんみたいに守護者を困らせたらすぐに捨てられてしまう。

小林 震災後はそういった「わかりやすいものに頼ることの難しさ」をあちこちで痛感します。行って間近で見てみないとわからないことでもあるんですが、震災後に新たに作られた防潮堤というのは本当になんともいえない大きさで。こんなに高くて厚い壁なのか!というものが延々と続く様という。村井知事(宮城県知事)もいろいろな思いがあったうえでの決断だったとは思いますが。。

中沢 個の上にインターフェイス抜きですぐに国家を置くのも、コンクリートの高い壁を作るのも、中間層を壊していこうとする現代の同じ傾向を見ます。インターフェイス抜きですからなにかと過激になる。「ルペンとマクロン」の対立はその意味でとても現代的なんです。しかしそういう過激さは倒錯しています。たしかにこうして喋ったり考えたりすることですぐに世界が変わるわけではないでしょう。でも、それでも語り合って理解しようとすることは必要だと思います。「防潮堤ではない復興を!」と言うap bank的なドン・キホーテを僕はとても好ましく思います。

小林 自然を排除せず、自然を媒介すると人間の世界は豊かになる。けれど、そこにはいいこととともに悪いことも含まれている。そういうことですよね。

目に見えないものを表す『四次元の東北』

小林 さて、『Reborn-Art Festival』という名前を考えてくださったのが中沢さんでした。すごくいいネーミングで感謝しています。

中沢 我ながら上出来です(笑)。

小林 単にアカデミックに収めてしまわないためのなにかが必要だと仰ってましたが。

中沢 これまで地方で数多く行われてきている芸術祭とは違うものを作らなければいけないという意識が強かったです。いずれそういう芸術祭は集客力を失うんだろうという予感があったので。これからは現代アートだけのアートではなく、やっぱり音楽が必要だと思います。でも音楽だけでもそのうち限界に突き当たるとも思う。そのまた先には何が出てくるんだろう?というところが楽しみです。

小林 もしわかりやすいものに偏ってしまうのなら「死」のような厄介なものは忘れておきたくなりますよね。売れることやウケることを優先すると、そのためのフォーマットや方法論が先にきてしまうことはよくあります。音楽でもなんでも。でもね、僕は「心が先に揺れる」というようなことは、まだなくなってはいないと思うんですよ。うん、決してなくなってはいない。今の世の中は目に見えるものにしか賭けられないことが多くなってるのかもしれないけど、そういう「心の揺れ」に出会いやすい場を作ること、それこそが僕の課題ですね。それを言葉にすると、なんてことはない『一期一会』って今さらなワードになってしまったりするのだけど。Reborn-Art Fesの開催地である石巻というのは、変な意味や嫌な意味ではなくて、死を思うことで生きることが浮き彫りになる場所だと感じています。

中沢 僕が東北の人と長くつきあってきて感じたのはまさに「東北の人たちの周りには目に見えないものがいつもいる」ということでした。僕は個人的に東北には20年以上前からすごく惹かれていて、東北の精神性についての著書を出したり、山の中で農業をやったりもしてきたんですが、ずっと親しくしている東北の人が僕に言うんです。「東北の人間はみんな嘘つきだからな」って。

小林 ほう。

中沢 それは、目に見えない曖昧なものを抱えて生きている限りは嘘をつくしかないんだ、という意味なんです。

小林 正しいか否かの二元論では計れない何か、ですね。

中沢 そう。東北のお祭りで、踊り手が黒い覆面をかぶって死者のフリをして、他の死者の霊を招き入れるというものがありますが、そういう0が1かのデジタルな考えだけでは及ばないもの、正誤に拠らない根元的なものをこの世に噴き出させようとしているんですね。七夕祭りも盆踊りもそれは基本的には同じです。そういうものを宮沢賢治は「四次元」と言いました。「人間の生命というのは四次元の波動体がこの世に顔を出しているにすぎない」と。

小林 今回、僕と中沢さんでReborn-Art Festivalにひとつの作品を出すんですが、最初のアプローチで中沢さんがすごく悩まれていて。その壁を突破するきっかけがたしか北上川でしたよね。

中沢 宮沢賢治が生まれ育ったのが花巻で。そこには北上川の支流が流れています。若い頃賢治は北上川を辿って石巻に旅行しました。そこで生まれて初めて海を見るんです。

小林 石巻では大川小学校で起こった問題もありましたが、そこにも北上川が大きく関わっている。非常に複雑なことをも孕みながら、賢治の言った「四次元」と「北上川」ですべてがつながったような感じでしたね。

中沢 東北では「四次元」は死んでいない。東北の人たちは「四次元」ということを感じながら生きてるんだと思う。死者や自然に壁は作れないし、デジタルな処理などできない。小林さんはそれに対していろいろ矛盾を感じながらも「自然との循環サイクルを」と言っていた。まったくそのとおりで、そもそも現代アートというものは目に見えないものを形にする技術です。すべて必然的だなと、主題は「四次元の東北」だな、と思い至りました。

小林 そこから、オペラの脚本を書かれるということで、その音楽(担当)はどうかと誘っていただきまして。

中沢 大柄な歌手が朗々と歌うようなオペラではなくて、歌と言葉と可視イメージとが最低限のミニマルな世界で出会ってできるものとしてのオペラを考えています。

小林 ちょうど今日いっしょに打ち合わせをしながら作り始めたんですよ。死の世界でありながら、そこに行きっぱなしじゃなくて通過していく世界。気持ちいいものをたくさん感じられそうな。

中沢 完成したときに見えてくる世界としてもすごく大きいものを考えているので、完成には3年くらいはかかると思っています。なので今年は第1幕だけになります。最終的には賢治の『銀河鉄道の夜』という作品に近づきたい。賢治がもし震災のあとにあの作品を書いたらどうなっただろう、と考えながら作っています。

小林 日本人の役割というか、今日ここで話した死生観みたいなところは必然的に出てくるかと思います。理想というものが議論の果てにつかみとれるということに対しては、どうも僕も懐疑的なところがあって。

中沢 論理的に詰めていくのは日本人は得意じゃないし、すべきでもないと思います。曖昧なもののレベルをグレードアップしていくことが大事です。

小林 考えることは悪くないけども。

中沢 考えてもすぐに決めたりしない。自分と違う考えを排除しない。強引や拙速より留保のほうがまだいいです。小池さん(都知事)が豊洲か築地でなかなか決断してないのはとてもよいことです。

小林 僕も常に思っているのは、ハンドルとアクセルとブレーキは絶対になくしちゃいけないってことで。築地の問題もそうなんですが、よくある「旦那!もはやこの車にゃアクセルしか着いちゃいませんぜ!」って前のめりな姿勢っていうのは本当にロクなことがない。なんにせよ執念深く検討は続けなくちゃいけない。

中沢 そうなんですよね。

小林 そんなふたりで作るオペラ公演の詳細については近々どこかでまたお知らせします。

中沢 東京でも演ってほしいなあ。

小林 第2幕が完成したぐらいで考えましょうか。はい、では今日のところはそんな思わせぶりな感じで。

(2017.05.17 @YOYOGI VILLAGE MUSIC BAR)

▲イベント後半には小林武史 x Salyuによるライヴも。当日は立ち見もでる熱気に。